8月初旬、暑さ真っ盛りの昼間にJR大和路線で南へと移動します。
涼しい車内から灼熱の外へ出るのは気が引けますが、それを乗り越えた先には世界遺産の寺院が広がっていることでしょう。
暑さを乗り越えて目的地へと向かいます。
JR法隆寺駅で下車、外に出た瞬間に湿気を含んだ熱気がモワンと吹き付けてきました。
バスがあれば即刻駆け込むところなのですが、下車した時間は運悪く法隆寺方面のバスがありませんでした。
歩いて向かうしかありません。
歩き始めてから5分後、既に体中が汗だくです。それでも止まらずに駅から遠ざかりました。
異変に気付いたのは駅を出てから20分後のこと、進んでも進んでも一向に目的地を示す看板も現れません。
不安が募った私は慌ててスマートフォンのマップを開き、現在地と目的地の距離を確認します。
結果、目的地とは逆方向に進んでいたことがわかり落胆します。
全身の力が一気に抜けて当然ながらもう歩く気などありません。
ここからまた倍近く歩くのか・・・と想像するだけで足がすくみ、その場に怖気づきます。
もはや法隆寺までの距離が絶海の孤島の如く遠く感じられました。
しばらくどうしようと悩んでいましたがついに痺れを切らしてタクシーを呼びました。
車両に乗り込んでしまえば運転手の方が目的地まで急行してくれます。
これまで進んできた道を猛スピードで折り返していく様子に文明の利器って偉大だと悦に浸ってしまいました。
そして10分後、目的地へと到着。感覚としてはあっという間です。
ここからようやく1400年前の建造物を目にすることが出来ます。
隋の国から伝わった頃の建築物だからでしょうか、門のデザインが少し中国を思わせます。
その当時からアジアの文化の伝授する力というのは強大なものだったということですよね、行動力を見習いたいものです。
近くに位置する東大寺と比べれば半分にも満たない大きさですが、それとはまた違った美しさがあります。
こちらの方が親しみを感じるのです。
そしてこれが1400年もの間、風雨と地震に耐えてきたというのですから驚きを隠せません。
この大講堂に関してもやはり中国チックな雰囲気が漂います。
日本の建造物のイメージから微妙に離れている、混ざっている気がするのです。
こういった時代から時が進むにつれて、日本の風土にあった建物が作られていったのでしょう。
中でも一番中国っぽさを感じたのはこの夢殿です。
八角形と屋根の反りが日本の建造物ではあまり見かけないものです。
日本にもこういった面白い形の建造物があったとは・・・他にこういった建造物はないのでしょうか。
ここを訪れて初めて知ったことに法隆寺と古都奈良の文化財、つまり奈良市街は別々に世界遺産に登録されていることです。
県外に暮らしており、歴史に疎い私はてっきり同じものとして登録されているのだと思っていました。
よくよく考えてみると奈良市と斑鳩町は離れているし、登録された年も法隆寺の方が先です。
(法隆寺:1993年・古都奈良も文化財:1998年)。
年代も法隆寺が607年で、平城京に遷都されたのは710年なので100年以上もの差があります。
こう言われると確かに同じものとして扱うことに無理があります。
今後は私も何が違うところなんだろうと目を光らせていこうと思います。