訪問日:2024年11月4日
新潟県津南町の中心地から伸びる国道405号を南に進んだ先に位置する秋山郷、平家の落人伝説が残る地だけあって交通の便は良くありません。
しかしそれを差し引いても訪れるほどの価値がある場所です。
ー秘境の名に相応しい集落に続く狭い国道ー
入口の農村地帯
国道117号から分岐してものの1分で農村の風景へと様変わり、収穫の季節は終わり畑の景色は寂しいものでした。
対照的に山の風景は色鮮やかなものです、オレンジ色が目立ちますがポツンポツンと黄色や赤も混じり見ることに飽きません。
山奥に入るとさらに色付きは進みますが今いる地点ほどじっくり眺める余裕はありません。
これから先、道は狭まり中にはすれ違い困難な区間も存在するのです。運転技術の未熟な私は常に神経を尖らせました。
国道が牙をむき始めた
先程の津南町中心部近くは力を抜いてじっくりと紅葉の色付け具合を楽しむことが叶いました。
しかし突然中央線が消えて車の速度も半減したところからは全身に力が入り前を見ることで精一杯となりました。
確かにこの交通事情では、積極的な交流は出来ずに秘境と呼ばれるに至ったことも頷けます。
しかし時折現れる待避所から見える景色は一級品でここまで来た甲斐があったと感じさせます。
神経を尖らせて運転した分をこうやって、待避所から見える風景が癒してくれ、奥へ奥へと進むことが出来ました。
ー立ち寄りたくなるスポット満載、色付く郷の木々たちー
道の駅みたいな休憩スポット
秘境と称される場所なので家が数軒まばらに建つだけで、お店も存在せず車を停めることも困難な場所だと勝手に想像していました。
その認識が誤りであることに気付くのにあまり時間はかかりませんでした。
秘境と呼ばれる場所にこんな広々した場所があるなんて!と珍しさのあまり私は現れた休憩スポットに立ち寄りました。
すれ違いに苦労する狭い道続きの中で広々とした駐車場構える休憩場は暗闇から差し込む一筋の光の如くありがたく思えました。
ここなら紅葉が見渡せるかもと喜んだ私は駐車場脇のブナの木に駆けつけました。
冬になると雪が自分の背丈の倍以上に降り積もる地域です。
こういった環境にブナは生息します。そのブナの色付き具合を見たくなったのです。
落ち葉の多くが色あせておりこの写真を見ただけだとくすんだ色の木だと錯覚してしまいます。
しかし実際に見上げると上部は鮮やかな黄色に染まっていました。
奥部はさらに標高が上がるのでどうなっているか楽しみです。
落ち葉が流れていく、橋からのぞいた渓谷
再び狭い道をすれ違いに気を付けながらゆっくり進んでいくと今度は駐車して見渡したくなる渓谷が現れました。
この先はつづら折りのカーブが続き戻ってくることは困難です。
対照的にカーブの始まりに当たる地点は広い空間が取られていました。
既に数台が停まっていましたがまだ余裕があり、停めても問題がないと分かったため私も道路の端に車を停めて渓谷を眺めました。
散ってしまっている木も多いですが、残っている葉を見ると鮮やかに色付いており秋が来た!と感じさせます。
そして落ち葉が川に流れに乗って下へと運ばれる光景を眺めていました。
この時浮かんだのは生態系の図です。
生き物ってこうやって循環していくのかと神秘を感じて気分が上がったところで再び出発です。
県境の大きい集落
もう少し進めば長野県に突入というところでそれまでよりも大きな集落が見えてきました。
大赤沢集落です。この集落から歩いて10分の場所には滝が構えており、休憩がてら私も見に行くこととしました。
農道にしか見えないこの道を歩くことになりますが私一人では心細く他の歩行者が現れるのを待ちました。
私有地だったらどうしようと不安がこみ上げたのです。
それだけ遊歩道とは思えない見た目をしています。
蛇淵の滝
集落の端から続く階段を100段程降りた先に見えてきたものが轟音を響かせる蛇淵の滝(じゃぶちのたき)です。
山の尾根沿いに展望台があるのでそこから撮った写真です。
川の丸太を熊取の名人が渡り終えたところで振り返りました。
すると丸太だと思っていたものは実は大蛇でそれに恐怖した熊取は引き返しました。
現場の近くにはこの滝が見えたために蛇淵の滝と呼ばれるようになったと看板に記されていました。
そしてその熊取名人は子や孫にこの滝に近寄らせなかったそうです。
こんな伝説が残っていることから私は勝手にこの地域では狩猟が日常的に(特に冬にかけて)行われていたんだろうなと考えました。
恐怖のあまり子や孫を近づけさせなかったこの滝に私達は手軽に歩いて来れます。
これも村人が安全だと知って遊歩道を整備してくれたおかげです。
そして先程展望台近くは尾根沿いにあると記しました。
熊取も恐らくこの尾根沿いを通っていたのではないでしょうか?
左右は崖ともとれるほどの急勾配で尾根沿いを歩いた方が安全に素早く移動できます。
狩人は山の中を縦横無尽に歩くものだと思っていましたが、しっかりと歩きやすい道とそうでない場所を見極めていたのでしょう。
私はこの時一つ知識が付いたなと感じました。
これでどこかに迷ってしまった時もパニックにならずに済むことでしょう。
ーまさに酷道!今までで一番神経を尖らせた運転となった道ー
Lギア多用の狭い坂道の連続
大赤沢集落を越えてわずか1分、長野県栄村へと入りました。
ここまでは狭い道だというのに頻繁に対向車がやってきて待避所に逃げ込みました。
一方でここから先は交通量が半減してすれ違いへの気を配らずに済みました。
特集番組思わせる大きな岩山
しかし緊張がほぐれたかと聞かれれば答えはNOです。
なぜなら道がさらに狭まり坂の勾配も増したからです。
さらに道路の脇すぐにまで木々は迫りより一層、人を寄せ付けない環境へと変わりました。
車のLギアを使用することは滅多にありませんでした。
今回は例外でこれまでの使用回数の半数以上を占めるものとなりました。
坂道に神経を削られる、そんな状況ですが壮大な風景は目から離れません。
大赤沢集落を離れてから10分程で見えた山の壁を対向車に気を付けながら眺めます。
しかしやはり撮りたいので待避所で停止して一枚、海外の世界遺産の風景を見ている気分でした。
そして世界遺産になる風景には神話を始めとする言い伝えがよく付いてきますが、ここも何かそういった類の話があるのでしょうか。
存在していてもおかしくないほどの美しさです。
最奥部に到達
岩山も通り過ぎて急勾配の坂道をさらに行くといよいよ秋山郷の最奥部、切明に到着です。
先程の大赤沢集落と比較しても過酷な環境だと分かります。
平らな土地は皆無に等しく交通の便は整っておらず、さらに冬は数メートルもの雪に覆われて外部からは閉ざされる。
人里から隠れて住むという条件にはピッタリすぎる場所です。
人目に付かず暮らすことが目的である平家の落人が選んだ住処です。
昔人里に住む人間にとっても同じように到達するには過酷過ぎる場所であったに違いありません。
昔の人間が超能力を持っていたわけでもなく、山奥を遠い場所と感じるその感性も現代と変わっていないことに気付いて安心しました。
このトタン屋根の旅館が遠くまで、そして人里とは隔離された場所なんだと感じさせます。
そしてこの近辺ではネットが通じたためマップを確認、ここが秋山郷の最奥部のようです。
もうじき日が暮れるので引き返しましょう。
人の気配を感じない・・・スピードも出せない酷道
行きは看板が近道を指していたのでそちらを通りましたが急カーブが多く勾配もキツい場所でした。
切明へ続く道は途中で分かれ道(どちらも終点は同じ)になっていたため今度はもう一方の道を使うことにしました。
こちらもやはりすれ違い困難な狭い道が続きます。
30km/hにも満たない速度でしか進めない狭い道路です。
しかし色付いた木々のトンネルをじっくりと眺められることを考えればむしろ好都合でした。
運が味方し、この先の数キロ区間が今回訪れた中では最も色鮮やかに見えました。
近道は県道ですがこちらは国道、しかし整備されてスピードの出せる一般的なイメージの国道とは似ても似つかない姿をしています。
俗にいう酷道です。
局所的にこのレベルの狭さの道を通ったことは何度かあります。
しかし何キロにも渡っての移動は初めてで細い綱を渡るかのように慎重に車を進めていきます。
普段走っている道がどれほど快適なことか・・・これほど身に染みたことはありませんでした。
岩山の風景をもう一度
帰路の途中、先程目にした岩山が忘れられずもう一度停車して一枚。
この場面、旅動画や番組で投稿者・リポーターが圧倒されるシーンそのものです。
その時にはこの岩山のような雄大な風景に息を呑んでいることでしょう。
絶景を前にした時の気持ちが上手く読み取れず私はこれまで半信半疑でした。
この岩山を見た後ではあの投稿者やリポーターの表情は私が岩山を見た時みたいな気持ちになってるのか!と彼らの感情に繋がることができました。
昔も今も秘境集落の秋山郷
秋山郷は交通アクセスの悪い山岳地帯に位置しており、車での移動も簡単ではありませんでした。
現代でも感じられるこの秘境っぷりを昔の人間も同じように感じ取っていたと知って安心しました。
交通の便が悪い地域だからこそ周囲と交流が進まずに独自性を保てたのは間違いありません。
昔の人間は今と生活様式が違い運動量も多いので麓から集落までなんて余裕で移動できるんじゃないか?と勝手に考えていました。
故に簡単に移動できるので昔の人間は秋山郷をアクセスの悪い場所だなんて思ってもいなかったという理屈です。
しかし平家の落人伝説の話を見ていくうちにそういった考えは薄まっていき、今回の訪問で取り払うことができました。
こうなると自動車やスマートフォンといった文明の利器を手にしたところで人間の感性が変わることなんてあるのか?と疑問に感じるようにもなりました。
この共通性になんだか親近感が湧きます。今回はそんな親近感を発見できた訪問となりました。