北陸で日本を感じる建造物巡り 小浜市 明通寺

建築物
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訪問日:2024年6月26日 福井県小浜市

福井県唯一の国宝建造物である明通寺、それは平安時代初期に坂上田村麻呂が東北地方へ蝦夷を討伐した後、討伐された蝦夷を弔うために創建されたと伝えられる仏教寺院です。

現在、国宝に指定されている本堂と三重塔は鎌倉時代中期に建立されたものでおよそ750年の歳月を越えてきました。その建造物を一目見ようと京都府丹後を抜け若狭国へやってきました。

若狭国は福井県の西側、嶺南地方の大部分を占める律令国家(嶺南の内、敦賀市を除いた部分)で関西とのつながりが深い地域です。

駐車場からすぐの場所に門へと続く階段があります。仏教寺院と聞いて思い浮かべる典型的な風景ですね、ただ階段の段数が少ないことは助かりました。周辺の空気をじっくりと吸うためにゆっくりと登っていきます。

他の神社や寺院と同じくスギの木が脇に立っていますね、この濃い緑色の葉が俗世から修行の場に入った合図と感じます。雑念を取り払いましょう。

階段を登った後の風景です、鐘の立っている屋根が典型例ですが木の幹の色をそのまま生かした柱がいかにも日本の建築と感じさせます。また、苔むす階段も周りの自然に受け入れられたものとして見ることが出来ました。

この明らかに人工物です!と感じさせないところがこの国の美意識なんだと改めて実感します。

訪れた時期は梅雨期の中、つかの間の晴れた日です。夏の植物といのは生命力を感じられるもので、各々が我こそはと力強く生きる姿が目に移りこみます。

しかしその次の季節、秋を見逃してはいけません。目の前に広がる落葉樹は11月になれば赤く染まることでしょう、その燃えるような紅葉の時期にもう一度訪れてみようと思います。きっと夏とは違った一面を見せてくれるに違いありません。

いよいよ国宝指定されている本堂と三重塔が姿を現しました。遠くから眺めているうちはそこらへんのお寺と特に違いは分かりませんが、近づいてみると長い年月をかけて黒ずんだ箇所が点在しており、より一層自然と一体化しています。

やはり四季折々の異なる風景がこの独特の風情を育んだのでしょうか、ちょうど本堂の中にいる僧侶にお伺いしてみようと思います。(内部は撮影厳禁のため、画像はございません)

内部に足を踏み入れた途端に仏壇と手前の畳からは厳かで無意識に、自然と言葉を慎む態度をとることとなりました。場の雰囲気を読み取ることが苦手で相手を苛立たせてしまうことが少なくない私にはちょうど良い修行の場ではないでしょうか。

そのお手本のように僧侶の方の落ち着いた、もっと教えてくださいと言いたくなるような話し方、私は見習わねばなりません。

これが当時赤色だったなんて信じられません。

僧侶の話によると鎌倉時代中期に建造された当時の本堂と三重塔は弁柄と呼ばれる赤味を帯びた色で覆われていたようです。

これを聞いた私は耳を疑いました、幹の色そのものを生かした美意識はずっと昔から不変だと思っていたからです。そうではなくて昔の日本人も外国と同じように鮮やかな色使いを好んだといいます、一体いつからこのようなそのものの色を受け入れるようになったのでしょう?

だから奈良の寺院は赤の色使いが多いのかとこの瞬間理解しました。それにしても私が感心するのは自然そのものの色に美しさを見出した人間です。これに気付いた瞬間、いてもたってもいられず身の周りのもの全てが幻想的に映ったに違いありません。私であればそのような感覚に浸ること間違いありません。

仏像は寺院と聞いてイメージする強面なものが数多く安置されていました。中でも印象に残っているものがヒンドゥー教のカーストからの解放を象徴する像で、カーストを司る神を横に倒して上から踏みつけている姿が表現されています。

まるで自由の女神像ですね、奴隷の象徴とされる鎖を踏みつけている姿とこの像を重ねてしまいました。今、私もこうやって旅行できるのもこういった思想が積み重なってのことなのでしょう、感謝してもしきれませんね。

青空が見えるとより一層神秘さを増します。

国宝の仏教寺院に出向くことが出来て小浜市を堪能しましたが、ここからおよそ5km先に若狭国一宮とされる2つの神社が存在します。距離も近いですし悠久の時を過ごした歴史が存在する、これを知っていて通り過ぎるというのはあまりにももったいないことです。

駐車場に戻り小さな里山を越えて、これまた前後に里山が見える土地を下っていきます。

(小浜市の市街地を過ぎ、国道27号線を東に進んでいくと明通寺はこちらと記された看板が出現します。制限速度を遵守していれば見逃すことはないほどの大きさです。親切な道案内に感謝いたします)

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