これぞ仏教寺院、信仰の根付く善光寺

この日は「遠くとも、一度は参れ、善光寺」この言葉につられて私も参拝に参りました。長野市を代表する観光地とだけあって新しいことの連続でした。

きっかけは偶然みかけた写真でした。前に長野駅で乗り換え待ちのため、駅のホーム席に座っていた時にそれまで見たことのない巨大な寺の写真が載せられたポスターを目にしました。それまで小屋のような形の寺しか見たことがなかった私にはこの写真が巨大なアトラクションのように思えました。

しかも驚いたのはその寺がある場所です。なんと同じ長野市内だと記載されていたのです。「近っ!」と周りも気にせず叫んでしまったのを覚えています。

そしてこの日、ゴールの直前で足止めを食らったかのようなもどかしさを晴らすためについに足を運ぶことができました。

太陽が顔を出し始めたばかりの早朝、まだ私は眠気のせいでボンヤリとした意識のままでした。こんなに登るのはキツイなぁ~と思いながらも坂を登っていくうちにその問題も解決、登り終えて門前町が姿を現した頃にはすっかり意識がピン!としていました。これで安心して観光できますね。

道の中央に立って奥を見通すと門の奥に写真と同じ寺が目に飛び込んできました。やっぱりここだったんだ、と未だに半信半疑だった思いもここで解けました。

門前町は右も左も静けさに包まれており中央の道には数人が歩いているだけ、千と千尋の神隠しの冒頭に出てくる温泉街を思わせる風景に普段とは違う特別な空間に足を踏み入れているという感覚を覚えました。

朝早いこともあってか人はまばらで映画の世界にでも入り込んでしまったのでしょうか。

さらに進みます。門前町の終わり、山門をくぐります。この門も相当大きく、見上げているうちに無意識に後ろへ下がってしまうほどでした。山門の迫力にただただ驚かされながらいよいよメインの本堂へ。

さすが全国に知られているだけあってこれまでの期待を裏切ることなくしばらく目を離すことが出来ませんでした。現在の本堂は宝永四年(1707)に再建されて以来、その後の地震で被害はあったものの、大きな損傷は起こらずそのまま佇んできました。

近くから見上げると後ろへ下がってしまうほどの迫力。全国から参拝客が訪れるのも頷けます。

本堂を眺めていること10分、後ろから静かに歩いてきたのは参拝客の視線を集める僧侶でした。この頃になると参拝客の数も大幅に増えて列を作るほどになっていました。それにならって私自身も列へと混じりご利益をいただくことに。

私を含む参拝客全員が頭を低くして僧侶が通過するのを待ちます。この時の私は変に緊張していて周りの音が全く聞こえませんでした。やがて僧侶が私の手前数メートルをゆっくり歩いてきます。より一層緊張状態は強まり私は開いていた目をそっと閉じました。その数秒後、私の頭のてっぺんを撫でて僧侶は奥へと進んでいきました。これと同時にそれまでの緊張が一気に解けて体が軽くなりました。一安心。

それまで観光名所は見るだけ、どれだけ名所に行ったかを競ういわばコレクション集めのような感覚だったのでした。それだけでは100%満たされた!という気持ちになることが出来ずにいたのですが今回の訪問では旅に出るってこういうことなのかと感じさせるものとなりました。

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